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●はじめに(長文)
 私が猫を飼うようになった、きっかけをくれた一匹の猫のことを書きます。
 私は幼い頃に猫を飼っていたせいで、猫がだ〜い好きでした。でも、マツを飼うには、少し覚悟を要しました。実は、マツの前に1匹の仔猫を亡くしていたからです。名前は、みゅー。1週間足らずの付き合いでした。
 一人暮らしを始めて間もない頃、私は駅近くの自転車置き場で猫の置物をまたぎました。本当はクサクサしていたので、その置物を蹴り上げようかと思ったのですが、猫好きだから、猫の置物だって同じと思いやめたのです。そして、そのままブリブリと怒りながら家路を急ぎました。が、ふと足を止めました。
「猫の置物?」
 捨てられた猫の置物だって、あんなところに置き去りではかわいそうだと、今来た道を引き返した私は、置物を手に取って驚きました。柔らかい…。
「ぬいぐるみ?」
 そうではありませんでした。本物の仔猫だったのです。蹴り上げなかった幸運と、猫を拾った幸運で、私の気持ちは晴れやかになりました。近くに兄弟が捨てられていないか、親猫はいないかを確認してから、私はその子を肩に乗せ自転車を走らせて家へ向かいました。魔女の宅急便のキキみたいに小さくて、ボロ雑巾のような複雑で不思議な色をした仔猫は遠くの方を見つめ、時々、みゅーと鳴きました。名前は決定です。みゅー。
 しかし、その子が遠くを見つめていたのではないことは、すぐに分かりました。家に帰り、床に降ろすと、ぜんまい仕掛けのおもちゃのように歩き、壁にぶち当たるまで止まらないのです。目が見えていないようでした。ゴツン、ゴツンと壁に頭をぶつけるのが気の毒で、新聞紙をちぎって入れた箱に入れてやりました。すると、今度は新聞紙を食べ始めました。驚いて食べてしまった新聞紙を口から出そうとしたら、私の指に噛み付きました。口に触るもの全てを食べようとしているかのようです。絶対、おかしい。その内に、みゅーはひどい痙攣を起こして倒れました。びっくりした私は、時間外診療をやってくれる近くの動物動物病院へ駆け込みました。その先生は、野良猫と聞くとつまむように扱い、無造作に首の後ろに注射を打ちました。
「ギャー!」
 ものすごい声でミューが鳴き、ぐったりしてしまいました。先生は粉薬と粉ミルクを少し分けてくれて、3時間おきに薬を飲ませるようにと言われました。でも、無理だったのです。その夜から、みゅーの痙攣はどんどん激しくなり、起きている時は口をぐっとつむり、ガクガクふるえ、発作が治まるとぐったり死んだように眠るだけ。起きている瞬間にミルクを混ぜた薬を飲ませることは不可能でした。
 私は、その土日、猫アレルギーで目をぽんぽんに腫らしながら、みゅーの看病をしました。友人の結婚式に出ている時は、ボーイフレンドに世話を頼んで。でも、症状は一向に改善しません。発作の間隔はどんどんひどくなるばかり。そこで、夜、もう一度、医者を訪れ、入院させてほしいと頼みました。先生からは暗に安楽死を勧められただけでした。
 翌日は、仕事があったため、私はみゅーをバスケットに入れて出勤し、階下のお店で店長をしている猫好きの女性に預けました。夕方、引き取りに行くと。
「ごめん。お節介だと思ったけれど、あれじゃ死んじゃうと思って私が懇意にしている先生に預けちゃった」
 私は驚いてその動物病院に行ってみました。
「あの、○○さんが預けた猫のことで…」
「ああ」
 先生は一言だけ声を発し、私を診察室に通しました。そこには、保育器のような箱の中で、小さな体には大きすぎる管をつけたみゅーがいました。先生がレントゲンを示しながら説明を始めます。
「この子は、脊髄を損傷があります。だから、発作が起きてしまうんだと思います。先天的か、後天的かは分からないけれど、かなり小さいので野良だとしたら親に見離されて随分経つと思います。この症状が治まったとしても、目も見えないでしょうし、おそらく耳も聞こえないと思います。下半身付随になると思いますし、もしかしたら排泄もうまくいかないかもしれません」
 大丈夫なところをあげた方が早いくらい障害を抱えた子だと分かっても、私はどうやって一緒に生活するかを頭の中で考え続けていました。下半身付随でも動ける車椅子を作ってあげればいいかな? 排泄のために、会社にも連れて行くことを許可してもらうしかないな…。それから、先生の次に出る言葉にも警戒していました。どんなに不自由な体でも、命があるなら安楽死なんて絶対させない。先生が口を開きました。
「僕が預かるから」
 へ?
「お金はいいから、預けていきなさい」
 でも、この子は野良で、前の病院では入院も断られて、薬も飲ませられなくて怒られて、あの、あの…。動転し、何をどう言ったらいいのか分からず、お礼も言えなかった気がします。
 翌朝、私は出勤前にみゅーを見せてもらいに行きました。動物動物病院は9時から。会社は9時半からで、動物病院から徒歩10分くらいのところにあったので、余裕です。みゅーは、元気でした。管が刺さったままだけど、発作もなくて普通にしていました。良かった。会社が終わってからも観にいきました。その時は、私の家に来てから見た事もないくらい穏やかに眠っていたので、起こさずに帰ることにしました。みゅーがよくなった時への夢が膨らみました。
 しかし、翌日、事態は急変していました。みゅーの発作がまたひどくなっていたのです。これまでよりも激しく、抱いていられないほどでした。その夕方、会社を出ると、階下の猫好き店長からみゅーの訃報があったと知らされました。動物病院に行き、小さな箱に入ったみゅーを受け取りました。既に泣き出していた私に、先生は言いました。
「あまりにも好転したから、ダメじゃないかと思っていた」
 動物は、最後の命を燃やすように元気になることがあるそうなのです。それから、共同霊園に入れなさいとアドバイスしてくれました。私があまりにも泣いていたので、毎年通知が来る霊園に埋葬しては気の毒だと思ったようです(そんな温かい先生が、現在、マツとチャミがお世話になっている獣医さんです)。
 悔しかった。憎かった。病気もだけれど、病気に打勝ってくれなかったみゅーと、何もできず泣くだけだった私が。みゅーは苦しむためだけに生まれて来たのだろうかとも思いました。前の先生が暗に薦めたように、初めから安楽死をさせればよかったのかもとも思いました。私との生活を夢見てもっとがんばってくれなきゃ。私にこんなに哀しい思いだけを遺して逝くなんてひどすぎるよ!とみゅーを恨むような気持ちも芽生えました。
 喪失感と自分の無力さで、その後、随分、私は私自身を苛め続けることになりました。ただ、手のひらに収まるほどのサイズだったみゅーが、死んだときにはバスケットにも入りきらない大きさになってくれていたことが、せめてもの救いでした。
 もう生き物なんて飼わない…。それから数ヵ月
後に舞い込んだのが、マツとの出会いでした。みゅーにはしてあげられなかったこと、みゅーとはできなかったことに、もう一度、チャレンジするチャンスが巡ってきたのです。また、不幸にしてしまったらどうしよう、辛い別れがあったらどうしよう。でも、私を必要としてくれる子がいるのだから、がんばってみてもいいよね。そう思えるようになったのも、みゅーのおかげなんだと思います。あの強烈な「出会い」なければ、マツとの生活に挑戦する勇気も、覚悟もできなかった気がします。短い命だったけれど、かけがえのない想い出と大切なものをたくさんくれたみゅー。そして、私と同じようにみゅーを愛し、励ましてくれた先生、店長には本当に感謝しています。