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2004年1月9日21時23分
マツ、永眠・・・

※おかしな話かもしれませんが、この日の私は、病院へ行き、マツを看取り、お別れの準備をするかたわら、後述するような文をパソコンにつづりながら、さらによく行く掲示板に自分の不安な気持ちを書きたてながら過ごしていました。マツが死んでしまったこと、その過程を、一秒たりとも逃したくなくて記憶が新しい内に書いてしまいたいと思っていたような気もします。その一方で、写真まで撮ってる自分を異様な感じで見ている自分もいました。なんでこんなことしてるんだろうと疑問に思いながら、記録をとろうとする自分。そのおかげで、私はマツときちんとお別れできたのか、遣り残したことはないのか、振り返ることもできるのかもしれません。しかし、死後約1ヵ月後の現時点では、あの日の記録を読み返す勇気がありません。誤字脱字、意味の通じない箇所もあるのだと思いますが、お許しください。

●最大のピンチ・発作 ※当時書いたメモの原文ほぼそのまま
 2004年1月9日、朝、マツが酷い発作に倒れました。前々から心臓が悪かったのですが、年末は調子が良さそうだったので、病院へ連れて行かず、年越ししてしまいました(夏休みの時は、健康診断のつもりで連れて行ったのに、それが悔やまれます)。
 いつものように押入れから飛び降りてきたマツは、いつものように一目散にお皿に駆け寄りご飯を食べました。しかし、いつもより少ない量を食べただけでトイレへ行ったのです。
「あれ?今日は珍しく少ないな。そんなにオシッコがしたかったのかな?」
 そして、トイレから戻ってくると、後ろ足をパンパンパンパンパンと床に叩くように振る音が聞こえました。
「あれ?おしっこかウンコを踏んだのかな?」
 と振り返ると、なんだか腰を抜かしたような状態になったマツがいました。ただ横たわっているだけのようにも見えたのですが、立ち上がった時、そうではないことが分かりました。下半身に力が入らないようで、後ろ足がプラプラになっており、前足だけで前進するのです。
 私はすぐに病院に電話しましたがつながらず、いても立ってもいられなくて、マツを連れて病院へ急ぎました。会社には、生理痛で動けないとウソをついて休ませてもらうことにしました。朝のラッシュも終わったのか、道はすいていて思ったよりも早く、病院へ到着しました。もう一度、病院に電話を入れてみようと、携帯を持ったところにちょうど先生が現れ、すぐに診察してくれました。
 診断は、心臓病の悪化により血栓が詰まったと思われるとのこと。マツは左心房が肥大してしまったため、心臓の一部に硬直が起きていると考えられ、そのせいで心臓内の血液がきちんと循環せず、血栓を作りやすくなっていて、それが詰まったのではないかということでした。猫の場合、血栓が足の付け根の大動脈につまることが多く、下半身が動かなくなることが多いそうです。先生はマツの胴を持ち上げて、後ろ足だけを床につけさせましたが、そのまま下ろしても力なく崩れてしまうだけでした。
「もし、捻挫や骨折だったら、こういう反応はしないから」
 確かに、ただ崩れ落ちるように座るなんて、素人がみても捻挫や骨折とは違うと思わせる異様さでした。その場で、心臓の薬と、血栓を溶かす薬を注射され、飲み薬をもらって帰りました。先生は、仕事があるならそのまま預かるけどと言ってくれたのですが、私が休みを取っていることを知ると、マツは病院嫌いで鳴き続けてしまうため、自宅の方が静養できるだろうと判断されたのです。
「夕方になっても下半身が動かなければ、もう一度来て。後ろ足の爪の色が黒くなったら危ないので見てて。」
 と注意事項が与えられましたが…。
 ところが、家に帰ってからもマツは鳴き続け、静養どころではありませんでした。車が嫌で鳴いていたのかと思ったのですが、そうではなく、家に戻り、キャリーバックから出してからも喚き声を上げ続け、動く前足で前進し続け、まもなく、這いつくばり、うなり声をあげながらウンコをもらしました。いつもなら、私が声をかければ高いトーンの甘えた鳴き声に変わるのですが、ただ苦しくてもがいているような声で、私の目も見ず、私の声にも耳を貸さず、ワーワーと鳴きながら、動かない下半身はそのまま、動く前足を使って右へ、左へとのた打ち回るのです。抱いて大人しくさせようと押さえた私の手にも噛み付いてきました。寒いのかな?マッサージがいいのかな?いろいろやってみたのですが、後ろ足の肉球の色は、相変わらずくすんだ桃色のままです。
「マツ、このまま死なないで。あなたが死んだら私どうやって生きていけばいいの?」
 私は大声をあげながら泣いてしまいました。その間もマツはのたうちまわり続け、ついには呼吸さえも苦しそうになり、ハァハァあえぎ始めました。これはダメかもしれない。先生に電話して症状を伝えると、すぐに連れてくるよう指示されました。
 今回、マツは初めてキャリーバッグなしで車に乗りました。毛布にくるんで助手席に乗せてみたのですが、逃げるでもなく、ただ苦しそうに時折のた打ち回りながらそこにいました。私は片手でマツを撫で、片手でハンドルを握って運転しました。マツが助手席で鳴くこともなくぐったりしてしまう瞬間もあり、私は、いつもより強くアクセルを踏んで病院へ急ぎました。
 病院の目の前にある駐車場も、路上駐車できる場所もいっぱいで、しかたなく居並ぶ車のまん前に車をつけて、一端、マツを抱えて待合室に入り、車を出す人を一人見送ってそこへ車を入れてから戻りました。先生は待合室に戻ってマツを抱いた私の元へ寄ってきてくれて、その場でマツの貧血具合を目で確認し、
「やっぱり預かるね」
 と言って、奥へ連れて行きました。私は、入っていいとも言われていなかったけれどマツが心配で、勝手についていきました。先生に、こう聞くのが精いっぱいでした。
「このまま死んじゃうこともありますか?」
 先生は、しっかりと私の目を見ていいました。
「そういうこともあるから、覚悟だけはしておいて。」
 何かあったら知らせるから緊急の連絡先を書いてと差し出された卓上カレンダーに、自分の携帯の番号を書き込もうとしても、その番号が一瞬思い出せないくらいショックを受け、ブルブル震えながら連絡先を書きました。
「よろしくお願いします。」
 病院を出たものの、車を運転して帰ることはとてもできそうにありませんでした。涙が溢れて前が見えないし、手が震えているし、先生にマツが死ぬのか?と聞いただけで帰れないし。病院の前は、とても暖かな陽だまりになっていて、私はその陽だまりの中に腰を降ろして少し、しっかり泣くことにしました。泣けば、少しすっきりして次が考えられるのは、いつものことだから。泣き虫療法と名づけているのだけれど、私は感情を流すのがヘタで、頭で処理できないほど大きな感情を抱えた時は、泣くことで抱えやすい大きさに変化させているのです。途中、シーズーを抱えて病院から出てきたおばあさんが、
「大丈夫よ。元気出して。きっと元気になるよ」
 と言ってくれたけれど、ありがとうと声を返すことはできませんでした。ごめんなさい。泣きながら、何がマツにとって最善か考えました。死ぬことが確実なら、連れて帰らせてもらった方がいいんじゃないか。それは、私のためなんじゃないか。何もできなかったのでは、自分が嫌だからなんじゃないか。とにかく一度、マツを見て、さっき聞き忘れた重要なことを聞きなおそうと思いました。
「助かる確率は何%くらいですか。」
 でも、こういう質問って不毛だと思うんです。たとえ確率が分かったとしても、生きる方に入る確率までは分からないわけだし。とにかく、もう一度、ちゃんとマツを見て、ちゃんと先生と話がしたいと思いました。
 マツは、既に何やら管を入れられ、エリザベスカラーも着けていました。
「管を抜いちゃうもんだから」
 と先生。先生が別の薬を取りに行っている間に、マツはエリザベスカラーまで剥ぎ取ってしまいました。
「先生、カラーも取っちゃいました」
「ああ、ああ、少し寝なさい」
「わがままに育てちゃいましたから・・・」
 先生は、苦笑いしながら、点滴に注射針で何かを追加しています。私は今後マツが、どうなるのかを聞きました。先生は治療方針についてを語ってくれました。まず、抹消の血管を点滴で1時間半かけてゆっくり開いていくこと。その後、酸素吸入を行うこと。酸素は、吸入器でするのではなく、今入っている檻に蓋のようなものをして、部屋全体の酸素を高めるとのことでした。
「何かあれば、連絡するから。心配だろうけど、あなたが来てマツが興奮するのは良くないから、いまは絶対安静が必要だから」
 つまり、心配だからとちょこちょこ見に来るなよと釘をさされたわけです。私は、マツの隣りの檻で寝ているクーちゃん似のチワワに、ご挨拶しました。
「やかましいですけど、よろしく」
 マツは相変わらずワーワーうめき声をあげていました。が、私の家にいる時より、この瞬間の方が後ろ足の肉球の血色は良くなっていたし、うめき声も小さくなったし、顔の血色も良くなっていました。私の家にいるより、病院に預ける方が、マツの生への可能性が格段に高いことを感じました。
  結局、私はマツが死ぬか生きるかの確率については触れませんでした。そんなことよりも、少しでもマツの命の可能性にかけたいと思い、そのためにはマツを先生に託すのが一番とだけ考えたのです。私は、そう結論付けられたことに満足して、病院をあとにすることができました。病院の前に止めた車は、ブレーキがパーキングに入っていたものの、サイドブレーキはかかっていませんでした。自分の狼狽ぶりに改めて気付き、少し笑えました。

●マツ永眠
 1月9日21時23分。マツは天国へ旅立ちました。夕方、先生から電話があり、
「多分、今夜は越せないと思うから、見取ってあげた方がいいんじゃないかと思って。」
 朝よりもアクセルをふかして病院へ行き、マツと対面しました。マツはもう鳴きもせず、ただ息をしているような状態でした。先生はレントゲンを見せながら、マツの症状について解説してくれました。
「腹水だったら抜けば何とかなると思ったんだけど、肺に水がたまっている状態で。利尿剤を飲ませたのだけど、思った程出なかったし、肺の毛細血管が切れて口から血の混ざった唾液を吐いたし。電話でも言ったけど、今夜は越せないと思う。」
 私は、マツを見つめ、その話を聞いていました。
「ただ、1%、利尿剤が効いてきて、オシッコが出て病状が回復することがあるから、可能性がある限りは」
  見守ろうとか、がんばろうとか、そんな言葉が続いていたのだと思うけれど、もう覚えていません。マツの腕についた管は、はずさずそのままにして帰ることになりました。もし、万が一翌日まで生きていれば、そこから私が注射器で薬品を注入できるからと言われました。電話、つながるようにしておくからとも言われました。車の振動も触るからとも言われました。そして、何かもう一本注射が打たれ、私は
マツを抱いて、助手席へ。その前に、都合上運転席へマツを置いたのですが、
「まさか抱いて運転していくの?」
「いえいえ、そんなことできませんよ」
「やろうとしたら止めようと思った」
 そんな会話があり、涙でぐしゃぐしゃのまま少し笑った気がします。病院から我が家までは、とにかく急ぐことで精いっぱいで。でも、交通ルールは守りました。自分の駐車場から家までは、マツの大好きだったお散歩コースでもあります。
「お外だよ。散歩したとこだよ。分かる?見える?」

 声をかけて歩きました。脱力しきっているマツが、毛布の間からずり落ちそうになるのを、何度か抱きなおしながら。そして、いつもならマツが迷わず駆け戻ってくれていた廊下をマツを抱いて歩き、家にたどり着きました。
 私は、マツを家の中央に寝かせ、オシッコシートを引きなおしました。先生が、帰り際に、
「おしっこをするかもしれないから」
 と言ってくれたものでしたが、あまり出ていないようでした。私は、マッサージの本を取り出し、闇雲にマッサージを始めました。肩から腰へ、胸から腹へ、足先から肛門へ。時には、一番の原因である胸の辺りに手をかざして気功マッサージとやらも試みました。少しでも、悪いものを排泄させられて1%の可能性にかけられれば!と思ったわけではありませんが、オシッコが出れば、なにか次の展開がある気がして。しばらくして肛門を見てみると、オシッコがにじみ出ていました。涙の粒くらいの単位でしたが、ぽとりぽとりと。多分、こんな程度じゃ利尿剤が効いているとは言えないんだろうと思いながらも、マッサージを続けました。
 それから、マツの顔の前に自分の顔を持っていって、いろいろな話をすることにしました。それが自分でも驚いたくらい、楽しかったことしか思い出せないのです。散歩に行ったこと、追いかけっこをしたこと、マツが一緒にいてくれたことでどんなに幸せな思いをしてきたかということ。それから、一緒に寝たこと。
 実は、昨晩はボーイフレンドの家に行ったため、マツと寝ませんでした。昨晩、私が最後に見たのは、かつおぶしをほしそうな顔をしながらお皿の前にたたずむマツで、今朝戻ってきた時、マツは押入れから起きてきたからです。
「 そうだ、一緒にお布団に入ろう。」
 私は、いつも使っている毛布をベットから持って来て、お昼寝をする時のようにマツと自分にかけました。マツは、それが嬉しかったのか、苦しそうな呼吸の中にもわずかにノドを鳴らしているような微妙な音をならし始めました。私は毛布の中でもマッサージを続け、布団にまつわる思い出話をマツにささやきました。それから、マツの向きを変えました。それまでは向き合うような形で寄り添っていたのですが、マツはいつも、私のおなかに背中をつけて腕枕をしてもらうのが好きだったので・・・。ただ、腕枕をしてしまうと、呼吸が苦しくなるようだったので、それは止めておきました。そうしている間、マツが少しリラックスしたのを感じました。私も温かな気持ちになれました。多分、これでもういい。マツが生きるために頑張るのは、もういい。そう思った瞬間だったと思います。
 それからは、マツと別れるための儀式のような時間になりました。私は、まず、お風呂を沸かしました。お風呂に入り、いつものようにシャンプーをし、体を洗ったら、息の絶えそうなマツと共に、いつものように布団に入って眠ろうと考えたのです。眠っているうちに、マツはきっと旅立つ。でもその前に、もう一度、生きている内にマツを抱っこしたいと思いました。マツを膝に乗せるのは、相変わらず重くて、脱力しているので支えるのが大変でしたが、なんとかいつもの横抱っこの体勢を取りました。その時、前足が少し痙攣しているのが分かりました。私はマツの呼吸をラクにするために膝から降ろし、マツの頭を、いつもやるように自分のあぐらをくんだすね辺りに置いて、肩から腰へ、マッサージをしました。その間、マツは少し苦しそうに動き、この数時間はあげることさえできなかった頭を急にもたげたのです。
「もういいよ、マツ。ありがとう。私は大丈夫」

 そう言った次の瞬間でした。マツは大きく2度ほど足を突っ張らせるように伸ばし、がくんと崩れました。私は一瞬、何があったのか分からず、マツを抱っこし直しました。その瞬間、私の腕と、ズボンと、それまでマツが寝ていた座布団に、マツの口から出た血のにじんだ唾液のようなものが一気にこぼれ落ちました。マツは、とうとう旅立ってしまったのです。その瞬間、私は泣いていたのか、マツの名前を呼んだか…。多分、その両方だったと思います。
  マツが動かなくなった後で、その日一日、マツに寄り付きもしなかったチャミがトコトコとやってきました。そして、自分の鼻とマツの鼻とを合わせ、最後の挨拶をしていました。

●訃報
 私は、マツを知るいろいろな人にメールや電話をしました。まず、一番に連絡したのは、先生です。
「いま、マツが旅立ちました」
「そう、そろそろ電話しようと思っていたんだよ。苦しまなかった?」
「最後に2度ほど大きく痙攣みたいなのを起こしましたが、本人には感覚はなかったと思います。」
「最後までよく診てあげたね。」
「あの、そろそろ電話しようってどういう意味ですか?」
「いや、そろそろ峠を迎える頃だと思っていたから、様子を聞こうと思ってね。」
「そうなんですね。いろいろありがとうございました。また、落ち着いたら、お金の清算に伺いますので。」
「急がなくていいから。あまり落ち込まないで。体を壊さないようにね。」
 この内容からも分かるように、先生はそろそろマツが亡くなる頃だと最初から予想がついていたのでしょう。私が思うに、病院から連れ帰る直前に注射してくれたのは鎮痛剤で、利尿剤が効いていれば、その鎮痛剤が切れる頃にマツは生きていて、そうすれば復活の兆しがありということで何らかの次へとつながる注射をすることになったのでしょう。その逆であれば、死しかなかった。そんなからくりだったのではないかと思います。苦しまなかった?と聞いたのは、鎮痛剤が切れる前に旅立ったかどうかという意味だったのではないかと思いました。多分、大丈夫だったのだと思います。いま、箱に入っているマツは、本当に眠るような顔をしているから。
 それから、一番心配してくれたであろう友達に電話しました。友達は、すぐにメールもくれました。ボーイフレンドは、「マツへのお別れの言葉 楽しい時も辛い時もずっと長い間MYちゃんと一緒にいてくれてありがとうございました」。
ほんと、マツがいなかったら私は今ここにはいなかったと思えるくらい、マツに支えられて来たと思います。それから、マツを抱いて寝るのは諦めました。死後硬直でおかしな形になってしまったら、マツがかわいそうだから。私は、マツのお気に入りの箱を持って来てマツを寝かせてみようとしました。しかし、朝から調子の悪かった下半身は、マッサージ中感じた通り既に硬直が始まっており、折り曲げることができず、箱に入れることは困難でした。そこで、第二のお気に入りの箱にマツを入れることに。こちらには、うまく収めることができました。まるでマツがそこでいつものように寝ているかのように…。お気に入りのマタタビボールも添えてあげました。それから、血液やオシッコで汚れた箇所を拭いて真っ白にし、耳を掃除し、管も取り外ししました。取り外した箇所は自分が想像していたよりも大きな穴が開いていて、血もにじみ出てきたので、止まるまで少し押さえ、それから血の滲んだ毛を拭いてやりました。マツは、真っ白な猫だから、真っ白にして送り出してやりたくて。
  実家にも電話しました。母は、あなたも充分やったとか、マツは幸せだったはずだとか、いろいろなことを言ってくれました。また、昨日手術するはずだった祖父の手術が延期となり、今日手術だったから、きっと身代わりになってくれたんだよとも繰り返していました。私もそう思う。だったら、マツは逝くしかなかったんだなとも思います。
 さらに、メールを入れた面々からは電話や、お返しメールが相次ぎ、しばらく何もできなくなりました。そしてさらに、あられ&みぞれ&隼人の飼い主である私の友人が、もう夜中だというのに花を持って弔問に来てくれました。友人は、マツが入っている箱が狭いことと、高さがないことを笑いました。私も少し変かなと思っていたので、笑い、高さを作ることにしました。材料は、マツが一番好きだった箱。おかげで、マツは一番大好きな箱と、二番目に大好きな箱の両方に入って、眠ることになりました。手作りの箱はおんぼろで、少し笑えました。でも、友人が持って来てくれた白と黄色の菊の花を入れてしまうと、本当に死んでしまったと感じて、辛さもこみ上げました。
 いま、マツは私のパソコン机の上にいます。こうして見ても、まだ寝てるだけみたい。物音を立てるたびに、いつもみたいにびっくりして目を覚ましてしまうんじゃないかと、肩をすくめるんだけど、「マツが死んだ」という事実は、どうにも変えられないようです。

●当日のとある掲示板

※この日に私が書き込み続けたとある掲示板の記録です
  (時間は多分、ということで・・・)

日付: 2004-01-09 9:51
うちのデブ猫マツの心臓病がとうとう暴れ出してしまいました。
今朝、下半身が動かなくなっているのを見つけ、
病院へ行ったところ、下半身の動脈に血栓がつまったと
考えられるとのことで、注射を打ちましたが、
いまも苦しいのかのた打ち回っています。
相変わらず下半身は動かず、先生は、
死んじゃうこともあると予告して、覚悟しておくようにと
いうことを示唆しましたが、
こんな、こんな苦しいままマツに旅立たれたら
私、どうしたらいいのか分かりません。
マッサージも嫌がるし、抱いても嫌がるし、
ずっと苦しそうにうめくように鳴いているのです。
どなかた、こういう症状のとき、なにかいい方法、
なにか私にしてあげられること、教えてください。
マツが、死んでしまうのは恐いです。どうしたらいいの?

日付: 2004-01-09 11:53
こんなにも早く、書き込みがあってすごく嬉しいです。
私が書いた後、さらにマツが苦しそうに息をし始めたため
かかりつけの獣医さんに指示をいただきました。
結局は、やはり注射だけでは難しいとの判断で入院となりました。
まずは、末端の血管を拡張させる薬を1時間半くらいゆっくりかけて
投与して、その後、酸素吸入を行うそうです。
酸素吸入といっても、口にあてるわけじゃなく、
保育器みたいなものに移すことになるそうです。
私が側にいると、興奮してしまうからとのことで、
あまり面会に来るなということを示唆されました。
でも、病院に連れて行き、点滴をされてすぐに、
真っ青だった顔に赤みがさしてきたり、黒ずみかけていた
後ろ足の肉球が、前足同様ピンクになったりしていたので、
うちにいるよりも、先生のところでできる限りのことをしてもらうことが
マツのため、というより、私自身のためだろうなと思います
そう思うことにしました。
でも、恐いです。
マツが、私の手の中に戻ってくるまで、
あんまり泣かずに、待っていてあげたい。けど、涙が止まりません。
もう一匹の猫は、いま、私の腕の中にいます。
いつもより、わがまま言わずに、ただ側にいてくれているようです。
心配かけちゃいました。。。

日付: 2004-01-09 16:03
いったん涙が収まってたんだけど、やっぱり不安になってしまって
また覗いてみたら、いっぱい励ましの言葉・・・。
本当にありがとう。
でも、正直なことを言うと、私は、
マツが元気になって戻ってくる姿を想像することができません。
このまま行ってしまう気がします。
弱気になっているとか、強気だから助かるとかいうことじゃなく、
人だって、この世にいる全てものはいつか死にますよね。
マツは心臓が悪かったから、お散歩中倒れてそれっきりってことが
あってあたりまえだと思ってきて、
そうなったとしても泣かない、覚悟はできた!と思ってたのに
まだ入院中で、病魔と戦ってる最終なのに、
こんなに恐くて、どうしたらいいか分からない感覚に陥るとは
思ってもみませんでした。本当に恐いし、こうやって狼狽してしまう
自分にもびっくりしてるし、
ちっとも覚悟ができてなかったことにも打ちのめされているんです。
先生の元でいろいろやってもらえることを全てやってもらって、
また私の元にマツが戻ってくることができたら、
一日じゅう家にいられる仕事を探して、できるだけ
側にいてやりたいです。今度、この手に抱っこできる日が来たら、
私の手の中で寝てるうちに死ねるくらい、いつも抱っこしてたいです。
だから、私からマツを奪わないでほしいです。
もう一度、ひととおりマツとの生活をやりなおして、
笑顔でお別れできるまで、マツを生かしてほしいです。
私がバカな飼い主だから、苦労ばっかりかけたし、
マツには、生きてもらわないと。
皆さんの励ましを支えに、私もごはんをちゃんと食べて
(よく考えたら朝から何も食べてませんでした)
マツの帰りを待ちたいと思います。
また、報告に来ますね。

日付: 2004-01-09 23:09
皆さんからたくさんの言葉をいただいておりましたが、
結局、マツは天国へ旅立ってしまいました。
夕方、先生から電話があり、
「今晩は越せないと思うから、最後をみてあげた方がいいのでは」
と言われ、すぐに引き取りに行きました。
先生の予告どおり日付変更線は越えられず、21時23分、永眠です。
家に戻ってからずっとマツと添い寝し、楽しかったことばかりを
思い出せたこと、マッサージをしてあげておしっこを出させて
あげられたこと、抱っこしてあげられたこと、
とにかく、いっぱいいろいろな話をして、やりのこしたことが
ないようにさせてくれました。
本当に親孝行もののマツくんでした。
最後は、本人は意識がなかったと思いますが、
2度ほど大きく痙攣しました。
せめて苦しまなかったと信じたいです。
死後硬直が始まる前にと思い、マツがお気に入りだった箱に
入れようとしたのですが、朝から調子が悪かった下半身は
既に硬直しており曲げられず、2番目に好きだった箱に
できるだけ寝ているようなポーズで寝かせました。
本当に眠っているようで、ウソみたいです。
手を叩いたら、びっくりして目覚めてくれるんじゃないかと
思うくらい、安らかに眠っています。
たくさんの励まし、ありがとうございました。

日付: 2004-01-10 03:18
今夜は、マツと布団に入ろうと思っていたのですが、
とても眠れそうにありません。
でも、添い寝ぐらいしてやらないと、ですよね。
いま、自分のホームページに、今日の出来事を書きなぐっていました。
友達にもメールをしまくって、訃報を知らせました。
何でこんなに訃報を知らせて回っているのか、
何でこんなに冷静に今日一日を振り返っていられるのか、
何をやっているのか、よく分かりません。
でも、こんなこと書いたら変かもしれませんが、
後悔はしていないんです。
ああ、昨日、かつおぶしをやっておけば良かったなとか、
もう少し早く医者に行けばとか、考えればたくさんあるんですが、
マツが金曜日という日を選んでくれて、私の家に戻ってきてから
死ぬまでの数時間、私と一緒に毛布に入っていてくれて、
それがお互いが、お互いにできる精いっぱいのことだったと
心から思えるんですよ。幸せな気持ちがするくらい。
死んだんだから幸せなはずないけど、でも、とても幸せなでした。
明日か、あさって、マツの葬儀をすることになると思いますが、
平日だったら、仕事に忙殺されて夜だけ悲しむことに
なりそうだけど、土日、何度も泣いて、思い出してすれば、
多少、元気になれると思うし。マツが、そういう余裕まで
プレゼントしてくれて、去っていってくれたんだと思います。
実は、私のじいちゃんが昨日手術をするはずだったのですが、
今日に変更になっていたそうです。じいちゃんは元気です。
父や母は、マツが身代わりになってくれたのではないかと言ってくれました。
私も、そんな気がします。つくづく、できたいい奴でした。
もう、寝ます。でも、また話をさせてください。
友達に話しても、恋人に話しても、家族に話しても、
まだ足りない。悲しみを吐露し切れません。
どうぞ、聞かせるのも嫌で、辛い話ばかりだと思いますが、
どうぞ、ぜひ、私のグチに付き合ってください。


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