●死後4日目の試練(その日のメモの原文ほぼそのまま)
「会社へ行く電車の中で、また、仕事場で、ふと涙が溢れてしまうことがありましたが、
なんとか無事誰にも悟られず、一日を終えることができました。
悔しいんですが、口や頭は食事も取りたくないというのに胃は空腹を訴え、
腸は摂取したわずかな食物から取れるだけ栄養をとって、せっせと排出しています。
人って悲しいくらいじゃ死ないんだなと。
とりあえず、今週一週間喪に服そう!と思っているんですが
この調子でいくと、3日後くらいからは常時笑顔でいられそうです。
ホームページも見てくださってありがとうございます。
今日、ふと考えたのは、マツが死んでしまう部分のくだりを
ホームページから全て削除してしまおうかということです。
あの時は、一秒も残さず書いて吐露したくて書いてしまいましたが、
せっかくのほんわかムードのホームページに
泥を塗っているようで、マツに悪い気がしてきて。
私の中にある、大切で楽しい思い出を全て書いてから、
一番哀しかった出来事を掲載することが、いいような気がしてきました。
今夜は、その作業をしたいと思います。」
以上が、とある掲示板にマツの死後3日目に書き込んだ私の記事。
マツの死後4日目にして、私は朝昼晩と食事を摂るようになりました。この日は、獣医さんにお礼と清算を行いに行きました。ものすごく寒い日で、みぞれ交じりの雪も降っていました。
「先生、お世話になりました」
「ああ、少しは落ち着いた?」
「ええ、まあ」
先生はそれ以上何も言わずに清算を初め、レントゲン代を割引してくれました。
「天気悪いのに、悪かったね」と先生はいいました。私は、「マツ、飲めなかったから次の子へ」と、飲ませることのなかった心臓病の薬を返却し、近所の喫茶店で買ったクッキーの詰め合わせを「つまらないものですが」と渡しました。本当は、私がこの薬をもう少し早くもらいに来てたら、つまり冬休み前に受診をしていれば、せめて3日前に受診していればマツはいまも生きてたのかとか、私の落ち度はなんだったのかとか聞いてみたかったのですが、やめました。そうやって自分を責めても、マツは還らないんだし、先生だって甘い飼い主を責めたい気持ちはいっぱいあるだろうし。責められても、私は救われないし。とりあえず「まだチャミもいますから、引続きよろしくお願いします」と笑顔で病院を出ることができました。
家に帰ると、寺から初七日がいつなのかが書いた手紙が送られてきており、私が掲示板に「あと3日もすれば笑顔になれそう」と記した「3日後」が、初七日に当たることも分かりました。儀式というのは、長い経験の上で作られているんだなということを実感しました。また、遅れに遅れていた生理も来ました。私の体は着実にいつものリズムを刻み始めているんだなと思いました。一方、チャミもこの日は一段とエサをねだり、マツがいた頃同様にバクバク食べてくれました。チャミも、私にお付き合いしてくれてたんでしょうか?
●やっぱり死因が知りたい!
マツの死因を聞けないまま、4日が過ぎました。初日は、聞かなくて良かったと思っていたのですが、次第に、自分が悪かったのではないかという思いに駆られるようになり、苦しくて、苦しくてたまらなくなっていきました。
実は、前日の夜、私はマツと一緒には寝ていませんでした。ボーイフレンドの家に遊びに行ってしまったからです。もしかしたら、夜中から調子が悪かったのではないか、少し前からいびきが大きくなった感じがあったのになぜ病院へ行かなかったのか。夏休みに入る前は特に悪いわけじゃないのに健康診断を受けに行ったのに、冬休みに入る前になぜ行かなかったのか。冬休み中、病院へ行かなかったことを気にしていた上に6日(月)はまだ会社も休みで平日だから病院へ行けたのになぜ行かなかったのか。それよりう〜んと前に、置物の猫の耳が取れてなんだかいやな気分がしたのに、なぜマツを病院に連れて行かなかったのか。ここに至るまでの些細なことまで持ち出して、頭の中が「自分のせいでマツは生きられなかったのではないか」という思いでいっぱいになっていきました。そして、このまま本当のことを知らずに自分を責め続けるより、本当のことを知った上で、自分を責める方が賢明だと思うようになりました。
初七日の翌日、16日(金曜日)の昼間、私は獣医さんに電話しました。
「先生、やっぱりマツの死因について教えてもらいたいことがあるんです。お邪魔じゃない時間帯に行ってもいいですか?」
先生は、快く、でも診療時間後を指定してくれ、私はその日の夜、再度、動物病院へ足を運びました。
●肥大型心筋症による大動脈血栓塞栓症と肺水腫の併発
先生は、数枚のプリントを用意して待っていてくれました。そのタイトルは『猫の肥大型心筋症』『猫の大動脈血栓塞栓症』『肺水腫』の3枚。
マツは以前から「左心房肥大」で、血液を循環させる機能がうまく働いていませんでした。そのため、お散歩中に倒れ込んだり、突然、よだれをたらしたり、苦しそうに息をしたという症状が出ていました。マツは最後の日、突然、後ろ足が麻痺した状態になりましたが、これは、心臓が弱っていたため心臓内でできた血栓が血液の流れで押し出されて詰まったのだそうです。猫の大動脈は後ろ足の付け根を通っており、ここに血栓がつまる例が多く、「後ろ足の麻痺」というのは肥大型心筋症の子の典型的な症状なんだそうです。
「ほとんどが助からないんだけど、僕の患者さんで1例だけ助かった子がいます。その子は、後ろ足を付け根のところで切断しました。でも、これもものすごい賭けで、麻酔を打った瞬間に死んでしまう子がほとんどなんです。足を切断した子は、いまも元気で生きてるけれど。」
それだけ死への確率が高いものだとは分かりました。でも、私にはもうひとつ気になっていることがありました。マツが最後に撮ったレントゲンに映されていた肺の影です。肺に水がたまっていて、これが抜ければなんとかなるかもと言われたあのモヤモヤは、マツの足が麻痺する前からマツを襲っていたものなのだとしたら、私が前日の夜、マツと一緒に寝ていればなんらかの異変に気付いてやれたのかもしれない…。答えは、ノーでした。
「状態から見て、足の発作が出て1、2時間の内にたまったものだと思うよ。血栓だって、トイレに行って力んだ瞬間に詰まったのかも。人間にもよくあることだよ。血栓だけなら、症状が落ち着いたときに足を切断してなんとか!と思ったけれど、肺水腫も併発して利尿剤でも水が抜けないとなると、もうムリだと判断したんだし。」
もうひとつ気になっていた、マツの足のことも聞いてみました。
「マツが死んじゃって足が既に硬くなってたのは、もう足は壊死しちゃっていたってことですか?」
答えはイエスでした。でも、と先生が付け加えました。
「でも、マツは長生きした方だと思うよ。普通、こういう病気を抱えてたら、2年も、3年も前に、今回みたいな症状で突然死しちゃってもおかしくなかったんだから。あなたは、ちょっと様子がおかしいと言っちゃ連れて来てたでしょ。よく気がつけた方だよ。これは本当だよ。」
慰めて言ってくれてたのだと思うけれど、先生のこの言葉は嬉しかったです。救われた気がしました。『肥大型心筋症』のプリントには、肺に水分がたまる、後ろ足が麻痺する、突然死する、中年の雄猫に多いと、マツに該当する言葉がずらりと並んでいました。一方、食欲不振だけが症状のこともあるとありました。マツは、最後の日の朝も、思いっきりガツガツ食べようとしたなあということを思い出しました。ほっとしていると、
「○○寺へ行ったんだね」
「え?なんで知ってるんですか?」
「ハガキが来たから。嫌な人いなかった?あそこ、ほんとにあなたは動物が好きなの!?って言いたくなるような失礼なお坊さんがいるから。別のとこ薦めてあげれば良かったと思って」
「大丈夫でしたよ。ただ、うちの子が大きすぎて係りの人が持ち上げそこなってて笑いましたけど」
「いまどき、12キロ、13キロなんて猫、ゴロゴロいるのに」
いつになく、感情をあらわにしている先生に驚きつつ、
「また、同じような子拾っちゃうかもしれないから、今度はがんばります」
と、笑顔で帰ることができました。
●苦しませてしまったこと
死という選択しかないような病気を併発してしまっていたマツは、多分、最後の最後までものすごく苦しんだんだと思います。当時は、先生が鎮痛剤を入れてくれたのだから本人には意識はないと思っていたのですが、振り返れば振り返るほど、マツはあの日一日、苦しみ続けていたのだと思うようになりました。私の手に噛み付いたのも、痛くて、苦しくて、何とかしてくれ〜って叫んでいたんだと思います。猫語を解さない私には、マツの苦しみが聞こえなかったけれど、チャミにはきっと通じていたのだろうなと。だとしたら、あの日、チャミはどんなに恐い思いをしながら、マツを眺めていたんだろう…、と思います。当日、チャミはマツによりつきもせず、時々、側に来たこともありましたが逃げるように去っていっていましたから。
もし、私がもっと早くマツの生を諦められていたら、眠るように逝く方法を選択していたかな?できたかな?
あの時は、ほんの一握りでも可能性がある限りマツには生きていてほしいと思いました。マツだって、私と生きたかったはずだと思っていました。でも、よくよく考えたら、それは私のエゴだったのかもしれない。マツが、私のために最後の最後まで頑張ってくれたと思っているけれど、頑張らせてしまって、苦しませてしまっただけかもしれない。でも、私は、やっぱりマツに生きててほしかった。後ろ足を切断することになっても、生きる可能性の方に、かけてしまっただろうなと思います。
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